あの時、SecondLifeで笑わせたのは私

AnkerEilde

2009年05月19日 23:23


私がSecondLifeをはじめたのは、2007年2月16日。それはSecondLifeバブルと呼ばれるブームが少し見え隠れしていた時代。

その頃はまだ、アバターはマネキンに衣装を着せただけの、おおよそ日本人の好みに合わないバタ臭さだった。それが "It's a SL" だと思っていた。なんというお人よしか。

SLを始めた当初、最初に訪れたのはoinariだった。入口には無料のFurryアバターが置いてあった。即座に私はバタ臭いアバターから離脱した。
少し慣れた頃、oinariを徘徊していると、牢屋の罠にハマった。近くには様々な罠が仕掛けられていた。楽しくて全ての罠にハマって歩いた。こういうネタの仕掛けを作る人を尊敬した。
そのうち、私もいろんな人が楽しめる仕掛けをつくれる人になろう。

しかし、時が経てば状況は変わる。気がつくと、主にファッション系を中心にすごいアイテムを作りまくる人たちが続々と出て来た。みんなこぞって買いまくった。マジメにモノ作りするなんてザマぁねぇぜ!

ともあれ、バブルは起こった。バブルは弾けた。
自分でもちょっとしたアイテムは作ったが、結局はデザインセンス、プログラミング、自分の能力の壁を感じ挫折した。
そしてネタに走った。毎週のようにNaniSLラヂヲに顔を出し、大喜利で親父ギャグをかましては、L$をもらった。2ヶ月間だけの限定でネタグッズ専門ショッピングモールも作った。出品してくれた方の商品が売れるたびに、チップジャーにもL$が入っていた。
今では、そこら中に罠を仕掛けた迷路を作っている。
はたして、これは誰の責任なのだろう。


その責任は、あの時、バブル以前から「一発ネタ」受け入れる状態にあったSecondLife日本人ユーザーにある。
私もそう。あの時、SecondLifeで笑わせたのは私。


将来、SecondLifeという言葉は聞く機会がなくなるかもしれない。
ただ仮想空間の可能性は未開拓の宇宙空間の様に大きな存在であるようにみえて、実は「ネタ」こそが普及に重要な役割を果たしているのは間違いないと思う。



敬具



この投稿は、Giornoさんのこの記事にインスパイアされて書きました。なお、Giornoさんの記事はもともとここの記事にインスパイアされて書かれています。
雑談